アドバイスと叱責 2021.6.28

私の気持ちがアグレッシブになるときは人にもアグレッシブになる。元々の駄馬が荷役を務めるには、その容量だけであろうが、時に抜け出そうと試みるのである。私もある種戦後の豊かな時代に生まれ育ってきた。豊かを傍受してきた時代である。東京オリンピックが開催され、学校の白黒テレビで見ていたしカラーテレビが普及して来た頃である。ブルジュアはカラーテレビが家庭にあった。家電品もどんどん進化し普及していった。車も町に走るようになり、トヨタの大衆車パブリカが誕生したのもその頃だ。私の家庭は貧しくはなかったが裕福ではなかった。それは、元々の庄屋さんのような土着民ではなく戦前戦中に四日市からおじいさんが一旗揚げるために床屋さんから身を起こし、ブローカーからものづくりの基礎を創っていったのだから新参者である。成り上がりである。

その子孫が私であるが、どうしても家庭内興業の域を超えない成り立ちである。出来が悪いのは親のせいはないが大学まで行かさせてもらったにもかかわらず、たいした仕事ができないせいぜい1馬力の駄馬であることは否めない。しかし、このままでは駄目だと気がついてからはどうにかして仕事のできる人間になり抜け出さなければと考えるようになった。

努力するしかない・・・・色々なことに関心を持って勉強して積み重ねていくしかない。勤めていた会社の社訓が「負けない。根気と努力」である。コツコツとやっていくしか一足飛びには成長できないと本気で思った。やればやるほどやれない自分に気がついていく。どうやったらできるようになるのか?涙を流しながら歯を食いしばってやるしかない・・・・。

たまには手応えもあるが、ほぼほぼうまくいかない。そんな繰り返しの毎日だったが、3年ほどあがきふと周りを見るとできないことに躍起になっている自分以外に、やろうとしない駄馬がいることに気がついた。当然できない自分へのいらだちを慰めるには甘い汁である。しかし、そこじゃないと気づかされたのは、年上の駄馬に言われた言葉だ。「何で、そこまでやるのかなー。そっちがやられるとこっちもやらないといかんようになるじゃない」

そうか、「やれないんじゃなくてやらないんだ」でもやったらできるのか?まあいいや、寝ていてもらおう。やらせる立場になったらやらせればいいと。しかし、自分がやらなくても地位を守るため、人のやる気を削ぐ技を持っているのだ。びっくりである。足を引っ張ってくる。あらぬ事をリークする。こうなると、無視してやるべきをやり成果を出すだけである。

そして、立場ができて指示してみたが、やれないことがわかった。やれない人はやらないことを肯定するんだと気づいた。しかし、やってもらわねば困る。リーダーとして歩み始めたらしかるべきところに連れて行かねばならない。自分がやってきたことを伝えるしかできないが、身から出た表現には強さがある。人が言ってるという理論ではない。当然、理解できないことの方が多い。しかし、人の理論を応用しても信念はしっかりと持つ必要がある。

この話になると、きりが無くなるので最後はモチベーションにどうやって火をつけることができるのか?を考えてしまう。私もよく叱られた。教えられたけれど気がつかない時こそは、穴を空けるくらいのインパクトが必要と感じている。

そこが、私の人を責める火の付け方であるが故に、気持ちがこもってしまうと泣けてくる。

自分の痛みが通じないときは、これは余計なお世話であると打ち切ることで関わりを絶つしかない。思いやりとお節介は紙一重。だから懇々と話す。通じなければ何度でも。言われても食らいついてくる人は、どこかで伝わるモノがあるとは思っているが、上下関係じゃない人間同士だからこそ5050の感受性のはず。今、褒めて伸ばす時代と言われる。私は褒める前提として共有できるモチベーションがなければ繋がりようがないとも思う。大切にしたいのは、初心を創ること。なりたい自分を夢見ることではなかろうかと。

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